日本語で学ぶ[4]
内藤 邦彦 @バンクーバー日本語学校
◆日本語で学ぶ意味
日本人学校,補習授業校,日本語学校と3回にわたってお話しした『日本語で学ぶ』シリーズも今回で最後です。そこで,これまでのまとめとして,大切にしたい点を3つ挙げたいと思います。
まず『保護者のお気持ち』についてです。日本を離れ海外でお子さまが日本語の学習を進めるとき,多くのご家庭で日本語学習の継続が難しくなる状況が起きます。前回も述べましたように,そのような場合,子どもに日本語を学ばせたいというお気持ちを保護者の方がしっかり持っていらっしゃるかどうか,またそのお気持ちからお子さまに暖かな励ましと手助けをなさるかどうかが,お子さまの日本語学習継続の分岐点となります。
ここで考えておきたいのは,そのような保護者のお気持ちの本質なのです。子どもに日本語を学ばせたいというお気持ちを保護者の方がしっかりお持ちになるためには,日本語を学ぶ意味を保護者がよく理解されることが大切なのです。
- いつか日本に帰国した時に,きっと勉強している日本語が役に立ちますよ。
- 今やめてしまったら,後から日本語を勉強するのはとてもたいへんですよ。
- 大きくなったら必ずよかったと思うから,がんばって日本語の勉強をつづけなさい。
などというのは子どもに対する激励であるとしても,日本語を学ぶことの本質ではないのです。日本語を学習するということは日本という国を知ることなのです。それぞれの言語はそれぞれの文化を伝承し,発展させるものです。「子どもに日本語を学んで欲しい」という保護者のお気持ちは,「子どもに日本という国を知ってもらいたい」という願いが基盤になっていて欲しいのです。
あなたはカナダという海外の地にいて,子どもに日本という国をどのくらい知って欲しいのでしょう。あなたは,日本語で学ばせることによって,子どもに日本という国をどのように知って欲しいのでしょう。このようなご自身のお気持ちをよく確認なさることが大切でしょう。
第2に『日本文化を学ぶ』という点です。日本人学校と異なり,日本政府からの経済援助を受けていない日本語学校でも,独自の教育理念を掲げて情熱を持って学校経営に努力しています。多くの日本語学校では,学校行事に日本文化をとり入れた学習活動を大切にしていますし,教師たちも教材・教具にもできるだけ日本のものを活用しようと工夫しています。これは,ほとんどの日本語学校が単に日本語の言語能力を獲得することだけを目的とした語学学校ではないからです。日本語が話せるようになるというのは学習過程の目標であっても,ゴールではないのです。漢字が書けるようになるというのは学習成果の嬉しい表れであっても,ゴールではないのです。
また,日本文化を学ぶということは,単に日本の習俗・習慣,歴史を学ぶことではないはずです。私は,子どもたちには,今の日本を知らせることを中心にして日本文化を考えてもらいたいと思います。教室では,今の日本について授業ができるように,教師はいつもしっかりと日本を注視して欲しいと思います。家庭では,今の日本が話題にのぼるように誰かがいつも日本のことに関心を持っていてくれるといいでしょう。子どもたちには,過去と現在を知って夢のある未来のゴールをめざして欲しいと願うからです。
最後に『子どもと先生』についてです。連載も最後になりましたので,子どもと先生について私の基本的スタンスを述べておきたいと思います。
Q:どんな子どもが良い子で,どんな子どもが悪い子ですか?
A:子どもは,どの子もみんないい子です。
Q:どんな先生が良い先生で,どんな先生が悪い先生ですか?
A:子どもをよく見ている先生が良い先生です。子どもをよく見ていない先生が悪い先生です。
教師の評価は授業の巧拙だけで決まるものではありません。特に初等教育・中等教育では,児童生徒をどれだけ知っているかが決定的に大切です。教師の評価をしたいときは,直接会って子どものことを尋ねてみればすぐ分かります。とりわけ,「うちの子のよいところは,どんなところですか?」と,聞いてみてください。良い教師は即座に,10や20いいえ100までも聞かせてくれることでしょう。ちなみに,悪いところを聞いてもその判断はくだせません。
また,親しくなりすぎる教師も考えものです。教師との信頼は大切ですが,仲良しとはちょっとちがいます。
そして,日本語学校の『子どもと先生』は,日本語の持つ美しさで結びついていたいと思います。子どもが頑張って勉強した日本語で表現してくれた時,教師はどんなに嬉しいことでしょう。先生が,その子にぴったりと合った日本語で話しかけてくれた時,子どもはどんなに嬉しいことでしょう。こんな時,私たちは日本語の持つ素晴らしさと日本語を学んだ嬉しさが実感できるのです。
著者経歴:東京学芸大学教育学部数学科卒。日本女子大学附属豊明小学校教諭,バンクーバー補習授業校教頭を経てバンクーバー日本語学校主任教諭。
本稿はJaponism Victoria, vol.3, no.5, 2009掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。著者経歴は執筆時のものです。