桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[4]
内田 晃
◆ブレグジット:EUにおけるイギリスの役割
イギリスのEU離脱(ブレグジット)に関しては,イギリス国内への急激な移民流入が離脱理由に挙げられることが多いのですが,欧州統合の歴史のなかでのイギリスの立場を振り返ると,別の側面も見えてきます。
前述のカレルギーの欧州統合思想にもみられるように,本来,イギリスは欧州統合に参加せずともひとつの勢力圏として成り立ち得る国家でした。また,イギリス国民のなかにも,欧州内の特定勢力に与(くみ)することなく,欧州のバランサーとして「名誉ある孤立」を望む伝統的な自負があったことも事実でしょう。
しかし,現実には時代の流れと共に1973年にEECに加盟しつつ,一方では,他のEEC加盟諸国の間で見られる経済的な格差問題を解決できるよう援助するという,バランサーの立場をとり続けてきました。
冷戦構造が崩壊すると,次第に東欧諸国がEU加盟を望むようになりました。ところが,冷戦時代の間に西欧諸国と東欧諸国の経済格差が増大していたため,東欧国家がEUに加盟するたびにイギリスがバランサーとして担わねばならない経済負担が激増してしまいました。EECの時代と比較すると,西側と東側の国家間の経済格差が著しく拡大していたのです。その意味では東西国家間での欧州統合には元々無理があるのかもしれません。
したがって,今回のブレグジット問題は,報道されているような難民急増によるイギリス国内での弊害に対するイギリス国民の反発というよりも,東欧諸国からのこれ以上の移民の流入や,EU本部から各種の経済規制をこれ以上強要されることをイギリス国民が嫌った反応とみるできます。私は1990年前後にイギリスで勤務していたこともあり,イギリス人の国民性を考えると,イギリスがユーロ通貨を採用しなかった時点で,将来EUから離脱する可能性もあると常々感じていました。
───ブレグジットによるイギリス本国や日本への影響は大きいのでしょうか? 他の加盟国も触発されて離脱するという可能性はありますか?(参加者C)
EU加盟に際してイギリスはユーロを受け入れず,自国通貨のポンドを維持していましたから,イギリス自体への影響は日にちの経過と共に相対的に小さくなる可能性が高いと思います。一時的に軌道修正に伴う失業や,ポンドの下落は免れないと思いますが,調整期間を経て,イギリスの主産業である金融業が持ち直し,実力を発揮できるかどうかがポイントになるでしょう。
日本への影響については,英語がもつ言語的利便性からイギリスを欧州進出の拠点とし,統一市場を利用して欧州に進出している日本企業がかなり多いのですが,ブレグジットによってイギリス経済が悪化または停滞した場合,大きく影響を受けるかもしれません。しかし,実際にそうなった場合,日本企業は統一関税を重視して,イギリス以外のEU諸国へ進出することでブレグジットの影響を回避するのではないかと思います。
他の加盟国が離脱を触発される可能性は低いでしょう。現在,EU圏内では公用語として英語,フランス語,ドイツ語,スペイン語,イタリア語などEU加盟国のすべての言語が定められています。これは言い換えれば,それぞれの国が自国の言語にそれだけの誇りを持っており,ある言語の強要によって自国の主権が失われるのを懸念しているためです。ただし,欧州統合の歴史をふりかえると,今回のブレグジットに触発されて,万が一,設立当初からの当事国であるドイツかフランスの一方でも離脱を決めた場合,EUがその存在意義を維持することは難しいくなるのではないかと思います。
───EU離脱を規定しているリスボン条約が注目されていますが,この条約成立の背景に東欧諸国の加盟増大に対する警戒があったのでしょうか?(参加者D)
詳しくは分かりませんが,EU拡大による組織の不効率,不経済といった側面があったかもしれません。EEC発足を規定したEC法ができたのが1957年で,リスボン条約が2009年です。この間,EUは急速に拡大しましたので,西欧諸国というほぼ同質の国々が加盟している段階では離脱という選択肢を考える必要はなかったものの,東欧諸国の加入によりリスボン条約を作り,離脱に関する規定を用意したという見方はあるでしょう。
実際にそこまでの深慮があったかは分かりませんが,一般的に条約の構造から言うと,国際機関を設立する場合,当然,加入と脱退に関する規定が設けられます。また,東欧諸国への警戒以外にも,リスボン条約の成立にはEU加盟国というメンバーシップを維持することが難しい国々に対する脱退の権利を明記した側面もあります。実際,EUに加盟すると分担金の支払い義務が生じますので,義務が果たせなければ加盟国としての権利を失うことになります。また,EUの政策にこれ以上ついて行けないという国も出現する可能性がありますので,脱退条項が設けられたともいえます。(了)
───塾生たちより
私たち塾生はEUに対して分かりにくいというイメージを持っていましたが,今回のお話を伺うことで,欧州統合の歴史背景や思想,そして現在のブレグジットに関する新しい一面を学ぶことができました。なによりバンクーバーで生活している私たちにとって,日本語学校以外の場でこのような時事問題・歴史を日本語で詳しく学べる機会は,非常にありがたいもので,大変勉強になりました。
また,講演ではEUとは別に,日本やカナダにおける難民・移民の受け入れの難しさや,安全保障の観点から見るテロリズムの問題点など興味深いお話も聞くことができました。「平和を望むからこそ戦争について知る必要があります。限られた自衛力の中で戦争を未然に防止し,日本の主権と独立,国民の生命と財産を守るための安全保障を,日本の場合は『外交』という手段によってどのように実現するかが大事なのです。そのような事を啓発するためにも軍事に関する知識や歴史,兵法や戦略について書いた本を執筆したいと考えています。」という,平和と戦争に関する内田さんの言葉が印象的でした。ご講演いただき誠にありがとうございました。
講師略歴:
内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。
本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。