桜楓塾講演会「EU(欧州連合)の成立と現在」[1]
内田 晃
────編集部より
バンクーバー日本語学校の卒業生を中心に構成される桜楓塾(おうふうじゅく)(代表:内藤邦彦先生)主催の講演会(2016年8月7日)の記録をご厚意で拝借できましたので,その抜粋を掲載いたします。桜楓塾は日本語学校卒業後も日本語への学習意欲にあふれる若者たちが集まり,日本の歴史,文化,時事問題などについて学ぶ会です。なお,掲載にあたり題目,項目名を含め記録内容を編集部にて編集しました。
◆EU(欧州連合)の意義
イギリスのEU離脱問題(ブレグジット)を契機としてEUの統合が危ぶまれ,今後の各国の動向が注目を集めていますが,EUとはどのような体制なのか,その意義や成立の過程などはあまり知られていません。まず,EU発足の歴史と統合の思想をふりかえり,EUの意義を考えてみましょう。
はじめに,17世紀中頃の欧州諸国と2016年現在の欧州諸国の分布具合を地図で比較すると,欧州の状況が大きく異なっていることがわかります。17世紀の頃は大小無数の国々に分かれていたのに対し,現在ではかなりすっきりとまとまりがあります。このことからいえる欧州統合の意義のひとつは,各国が持つ「国家意識」から,欧州という大きな「コミュニティ意識」への発展であると考えられます。
こうした意識の変化は第一次世界大戦後の仏独関係が大きな原動力となっています。第一次世界大戦後,ヴェルサイユ条約が結ばれ,敗戦国であるドイツは領土割譲(かつじょう),植民地放棄,軍備制限,1360億マルク(当時のドイツの年間GDPの20倍)の賠償金支払いを義務づけられました。しかし戦争で資本や領土を失ったドイツには賠償金を支払うことが困難でした。その結果,戦勝国のイギリスやフランスでさえ,戦争への出費で戦後の財政が困窮(こんきゅう)し,また,ドイツからの賠償金も思うように得られず,米国に援助を求めることで債務のバランスを維持する状態でした。
ところが世界大恐慌が起こったために米国からの資金供給がとまり,ドイツの賠償能力はさらに制約を受けざるを得ず,賠償額の減額交渉が行われました。当然にイギリスとフランスもその影響を受けました。このようなドイツに対する過酷な賠償義務が後の第二次世界大戦への引き金となっていきます。
講師略歴:
内田晃氏 1981年明治大学政経学部卒。都市銀行での勤務経験を経て1985年に外務省入省。英国ランカスター大学にて国際関係論・戦略研究で修士号取得。
本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.8 and 9, 2016-2017に掲載された同名記事に加筆修正を加えたものです。