歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[1]

Michiko Midge Ayukawa, PhD

 

 

AJさん家族とメソジスト教会

カナダBC州ビクトリア市にオリエンタルホーム(『東洋人の家』の意)という施設があったことは,日本人・日系人の間では噂話としてしか話されないことを,私は常々悲しく思っています。オリエンタルホームという言葉を私が最初に耳にしたのは70年も前の子どもの頃のことです。子ども心にそれが何かを理解できたわけではなく,ただ何となくあまり良くないことのように思った記憶があります。

私は日本語学校の生徒でしたが,ある年の新学期にAJさんという子と友だちになりました。AJさんは日本語があまり話せず,英語で話す方が上手でした。私とAJさんはよく似ていて,すぐに仲良しになりました。私は親や近所の人と日本語で話すことはできましたが,英語の方が得意で,きょうだいや友だちとは英語で話していました。

ある日,AJさんは友だちを誕生日パーティに招待しましたが,実際に彼女の家に行ったのは私ひとりでした。AJさんはがっかりしていたはずですが,顔には出しませんでした。この誕生日パーティのことは,お祝いのケーキがとても大きかったこと以外,あまり覚えていません。

真珠湾攻撃が起きた後に私たちは離れて暮らすようになりましたが,それでも私たちは親友でした。結婚後も連絡を取り合っていたのですが,お互いの生活が忙しくなり,音信が途絶えるようになりました。ところが1980年代に,私はAJさんのお母さんについて書かれた日本語の本に出会いました。天野美恵子さんが書いた『力と気品』という本です。この本を読んですべての謎が解けました。なぜAJさんは日本語をほとんど話さなかったのか,なぜクラスのひとたちは彼女を無視したり避けたりしていたのか,そしてなぜ彼女は時折とても頑(かたく)なな態度を見せていたのか,等々。それらはすべて,AJさんとお兄さんと,そして未亡人だった母親の3人家族が数年間,ビクトリアのオリエンタルホームで暮らしていたことが原因だったことが分かりました。

『力と気品』によれば,AJさんの父親は木材搬出中の事故で重傷を負い,後に精神病院に入院しました。ところが父親のきょうだいがAJさんの母親から貯金全部を騙し取ったため,一家は困窮のどん底に落とされました。バンクーバー・メソジスト教会(後のUnited Church:基督教団)が一家に救いの手を差し伸べ,ビクトリアの保護施設に入れてくれました。それがオリエンタルホームだったのです。

そして,母親のJ婦人は教会信者の家で家政婦として働き,英語を学びながら子どもを育てました。J婦人の英会話力は高く,数年後に日本人ビジネスマンから仕事をもらうことができたほどです。その後,J婦人は子どもたちと一緒に暮らす家が持てるまでになりました。もしオリエンタルホームが困窮していた一家を救わなかったら,どれほどの不幸がこの一家に起きたことでしょう。

 

 

東洋人女性とその子どもたちを受け入れるこの保護施設は,メソジスト派の女性信者たちによって1888年にCormorant通り100番地(後に732番地に改称)に「中国人女性の避難シェルター」として建てられました。若い中国人女性──ほとんどは少女──がこのシェルターで保護されましたが,その多くは中国人男性にサービスする売春婦としてビクトリアに連れてこられた女性です。

メソジスト会の記録では1895年以降には日本人女性とその子たちがオリエンタルホームに住むようになりました。そして建物が手狭になったため建て替えとなり,1908年に同じ敷地内に大きな家が建てられました。

1907年頃から,ホームの入居者は中国人女性よりも日本人女性の方が多くなりました。記録では,1895年から1907年の間に121人の日本人女性・女子が登録されています。中には,移民ビザの審査を待つ間に移民局の指示で収用された女性もいます。また,1903年から1915年の間,カナダ政府は「写真妻」(*1) たちにカナダの法律に基づいて正規に婚姻することを求めましたので,その結果,697組の結婚式がオリエンタルホームで行われました。

教会の記録では,1908年から日系人の強制移住が行われた1942年までの間に,92名の日本人女性が保護されています。そのほとんどは夫や親類の虐待から逃れてきた日本人女性でした。保護された多くの日本人女性たちは,ホームの支援のもとで夫と話し合い,夫の元に帰りました。日本に戻る女性や日本人コミュニティに復帰できるまでメソジスト派信者の家で家政婦をする女性もいました。そして多くの女性がキリスト教に転向しました。

一方,オリエンタルホームはビクトリアの日本人コミュニティとの関係を深めるようになります。まず幼稚園を設置し,つぎに教会と関係するいくつかの組織,例えばCGIT(カナダ女子訓練所),YWCA,女性祈祷会などを設立しました。

記録によれば,ホームでは長年にわたり多くの女性とその子たち──少数の少年と200人以上の少女―─が保護されています。一部の女性は再婚し,独り身のまま残った女性も自立や子どものための活動をしています。また,女性だけでなく,妻を亡くし男手で子を育てる父親もこのホームを利用しました。父親が製材,木工所,漁場などで仕事をする間,子どもたちはこのホームで食事と居場所を与えてもらえたのです。

 

*1:米国(ハワイ)やカナダに移民した日本人男性の多くは日本にいる見知らぬ女性を写真で選び,日本で婚姻届を出した上で米国やカナダに“妻”として呼び寄せたことから“写真妻”と呼ばれています。

 

Michiko Midge Ayukawa, PhD (1930 – 2013)

1930年バンクーバーにおいて,広島県尾道市出身の移民1世である両親の間に第3子(長女)として生まれる。1942年のカナダ政府の強制移住政策による抑留生活を経験した後,1955年にKarl Kaoru Ayukawa氏と結婚し,5人の子どもをもうける。歴史学者。著作に“Hiroshima Immigrants in Canada 1891-1941”, 2008, UBC Press。

 

© 2010-2018 Japanese Canadian Community Organization of Victoria

本稿はJaponism Victoria, vol.5, no. 7, 2010の掲載記事「The Truth of Victoria Oriental Home」に加筆修正をしたものです。

 

> 歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホーム[2]

 

歴史の真実:ビクトリア・オリエンタルホームThe Truth of Victoria Oriental Home[1]

Leave a Reply

Your email address will not be published.

error: Content is protected !!