カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[4]

Vincent A. @ ELC Research International

 

 

これまでに,アイスホッケーとアメリカンフットボールがカナダとアメリカでそれぞれ最高の人気スポーツという共通点を持ちながら,アイスホッケーでは試合中に乱闘など暴力行為が多発するのに対して,アメリカンフットボールでは暴力性がほとんどみられないのはなぜか,という問題提起をしました。そしてそれは,スポーツの発達を規定した文化的背景がアメリカとカナダでは大きく異なっていたことがひとつの要因であるとして,特にアメリカにおける独立戦争の影響について述べました。アメリカンフットボールも当初は流血の絶えないスポーツでしたが,大学教員たちが苦悩しながらも誠実に取り組んだ結果,アメリカンフットボールは粗暴性を克服することができたのです。以下ではその過程をご説明し,アイスホッケーと対比させてみたいと思います。

 

◆大学教員たちが直面したジレンマ

19世紀初頭に大学生たちの課外活動として芽吹(めぶ)いた米国のカレッジスポーツは,その後,大学対抗戦という形を取ったことで人気が一気に拡大しました。中でもフットボールは,その力強さ故にカレッジスポーツの花形競技となりましたが,当時は死傷者が続出する暴力的なスポーツでした。それが現在のように粗暴性がほとんど見られない洗練されたスポーツに進化できたのは,フットボールを含めてカレッジスポーツというものが学生の課外活動であるが故のジレンマをいくつも抱えていたことと,大学教員たちが苦悩しながらも困難な問題に誠実に取り組んできた結果といえるでしょう。

カレッジスポーツにおいて大学教員たちを悩ませていた最も根源的なジレンマは,カレッジスポーツが盛んになればなるほど,大学の使命,すなわち大学が社会の中で果たすべき役割が果たしにくくなるという二律背反でした。

高等教育機関である大学の使命は,広くいえば知識を創造し,それを社会や若い世代に伝えていくことですが,そのためには大学教員たちは教育・研究活動に,学生たちは学習活動に勤(いそ)しむことが求められます。カレッジスポーツが拡大するにつれ,人々の人気を博す大学対抗戦に勝利することは選手の名誉となるだけでなく,大学の知名度を向上させ,知的能力のみならず肉体的にも強靱な学生を育てようとしているという意味で大学の力強さをアピールする絶好の機会ともなりましたが,カレッジスポーツがいかに人々の人気を博しても,いかに大学の名声が上がっても,カレッジスポーツはあくまで学生の課外活動にすぎません。

学生たちの“本業”は──当時の米国の大学の多くは宗教宗派により設立された私立学校で,学生たちは寄宿舎で生活していましたので──授業や礼拝への出席と寄宿舎での決められた時間の学習活動でした。しかし,大学対抗戦に出場するためには,学生たちは時として授業や礼拝を欠席しなければならず,また試合が遠く離れた町で行われる場合には遠征旅行も必要となります。

大学教員たちは練習時間に制約を加えたり,授業や礼拝の欠席,対抗戦の実施や試合出場を認めないなど,許される裁量権を最大限に用いて学生活動を管理しようとしますが,独立戦争を契機に自由の価値を知った学生たちの熱意を抑えきることはできません。また,私立学校としては,大学数が増えつつある中で学生数を確保するためには学生や親たちにも魅力のある大学作りが必要とされますので,大学の魅力をアピールできる有効な手段であるスポーツ活動や大学対抗戦への参加をむやみに拒否することもできず,教員たちには悩ましい時代が続きました。

 

 

一般の方々は,「大学の使命」というのは確かにあるかもしれないが,スポーツ活動で多少学業がおろそかになるからといって,それで使命が果たせないなどと深刻に考えるほどの事ではないのではと思われるかもしれません。しかし,大学教員や学校教員という職に就いている人々は──私もそのひとりですが──全般的にいえばですが,自分たちの仕事が社会の中でどのような役割を担っているのかという点には比較的敏感なのです。多分,この点は社会で一般的な仕事に従事している方々とは少し違うはずです。まして,カレッジスポーツ興隆期の大学教員の多くは生真面目な教会牧師でしたので,カレッジスポーツが学生の学業に及ぼす悪影響には相当神経質になっていたことでしょう。

大学教員たちを悩ませていた第二のジレンマは,アマチュアリズムとスポーツの商業化・プロ化との葛藤という問題でした。ここで商業化というのは端的には高額な賞金・賞品の授与や試合入場料の徴収という問題に,プロ化は有給の専門コーチの雇用,選手の出場資格,プロチームとの対戦など問題に集約されますが,米国のカレッジスポーツはその黎明期からアマチュアスポーツの商業化とプロ化という矛盾に悩まされていました。

例えば,大学対抗戦が人々の人気を呼び,商業的利益や地域の活性化につながることがわかると,企業や市・町が大学対抗戦の実施に経済的援助をするようになります。そして中には,勝者に高額の賞金・賞品を授与する後援組織も出てきます。学生たちには賞金・賞品は非常に魅力的ですので,それを得る目的で試合に勝とうとする,アマチュアリズムとは相容れない風潮が生まれてしまったのです。

 

アマチュアリズムというのは,元々は英国上流階級の人々がスポーツという“優雅な遊び”から労働者階級の人間を締め出そうとして考えついた差別的・排他的概念で,「日々の糧を得るために働かざるを得ない人間はスポーツに参加する資格がない」という考え方がその基本にあります。英国に対して独立宣言という“絶縁状”を突きつけた米国には英国のような上流階級はなく,アマチュアリズムも英国ほど厳格なものではありませんでしたが,カレッジスポーツの商業化・プロ化という批判をかわすためにも,大学はアマチュア精神を尊重する姿勢を示す必要がありました。

有給専門コーチの雇用は非常に難しい問題でした。試合に勝つことの意味が重くなればなるほど,練習方法や試合の作戦を工夫する必要が増すからです。カレッジスポーツの名門校であるエール大学やハーバード大学が早くも1860年代に自校のレガッタチームに専門コーチを採用しているほどです。アマチュア精神を尊重している姿勢を社会に示さねばならない一方で,試合に勝利するためにはプロ的手法を導入せざるを得ないというジレンマは,米国のカレッジスポーツをその後もずっと悩ませ続けました。

そして,大学教員たちを悩ませていた第三のジレンマは──おそらくこれが最も深刻な問題だったはずですが──カレッジスポーツを大学教員たちが望む形にするためには,学生たちの活動を事細かに管理する必要があり,むろん,大学教員たちもそれを欲したはずですが,現実には彼らには学生の課外活動を管理する時間的余裕も専門知識もなく,結局,カレッジスポーツの運営を学生たちに委ねるしかなかったという皮肉なジレンマでした。

例えば,大学対抗戦ひとつを取っても,これを実施するには,相手校チームとの交渉,教授会の承認,試合会場の確保,試合会場への交通手段の確保,宿泊施設の予約など面倒なマネージメントが必要です。また,練習活動にしても,勝利が重視される中で合理的な練習方法を工夫するには相当の専門知識が必要です。正規のカリキュラムでない学生の課外活動に割ける時間的余裕もスキルもない大学教員たちは,つまるところ,様々な許認可権を用いて学生の自主活動に制約を加えるという形でしかカレッジスポーツに関与できなかったのです。

 

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本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

 

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カナダ・アメリカ文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール Ice Hockey vs. American Football[4]

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