文化比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール[5]

Vincent A. @ ELC Research International

 

 

フットボールの近代化

大学の授業はもっぱらギリシャ語やラテン語の復唱(暗記学習)が中心で,寄宿舎での生活はうるさい規則だらけという,抑圧された学生生活を余儀なくされていた学生たちにとって,課外活動は,大学で初めて出会った真に自分を打ち込める対象でした。特に,肉体を激しく駆使するカレッジスポーツを愛した学生たちは,そのエネルギーを試合や練習時間以外でも発散することになります。大学対抗戦の前後に学生たちが酔っぱらって騒ぐ,物を壊すなどの不品行な振る舞いも多発し,これも大学教員たちの大いなる悩みの種となっていました。

それにも増して,流血の絶えない“危険なスポーツ”であったフットボールは,その粗暴性・野蛮性が大学内で常に問題視されていました。実際,フットボールの試合では死者がかなり出ています。1800年代の死者数は手元にないのですが,1905年に限ってみてもフットボールによる死者数は18名です(一説では,大学対抗戦に限れば3名)(*1)。カレッジスポーツ自体が悩ましい存在であったことに加えて,このように危険極まりないスポーツであったフットボールが大学教員たちにとって,まさに“手を焼く存在”であったことは想像に難くありません。

大学教員たちからは当然のごとく,暴力的なフットボールを禁止せよとの声が上がります。実際にフットボールを禁止した大学も少なくありません。そしてついに,米国スポーツ史で有名な「フットボール危機(Football Crisis)」が訪れます。1905年秋のことです。

その少し前から,大学教員たちは,いくつかの大学で合同管理委員会を設置し,死傷者が続出するフットボールに関して共通のルール作りや規制の仕方を協議しようとし始めます。フットボールの危険性があまりに大きく,各大学がそれぞれ個別に対処するには問題が難しすぎたからです。しかし,カレッジスポーツや学生の管理についての考え方が大学間で異なるため,この委員会構想は最終的に座礁してしまいます。

 

 

そうこうするうちに,1905年の秋にフットボールの大学対抗戦で負傷したマクスウェル(Bob Maxwell)という学生の血みどろの顔写真が新聞に掲載され,それを見たセオドル・ルーズベルト大統領(Theodore Roosevelt)がフットボールの粗暴性やスポーツマン精神の欠如に激怒し,ルールを改革しなければフットボールを禁止すると大学関係者をホワイトハウスに呼びつけて脅しました。これが巷で言われている「フットボール危機(Football Crisis)」事件です。この一件で,ルーズベルトはフットボールを廃止の危機から救った救世主のように伝えられました。

しかし,政治家がからむ逸話は政治家に都合よく伝えられるのが常です。このフットボール危機も事実は少し違うようです。そもそも大統領にはスポーツを廃止する権限はなく,むしろルーズベルト自身はフットボールのファンで,マクスウェルが負傷する前から死傷者が続出する状況を改善したいと考えていたようです。そこで,主要なカレッジスポーツ校であるハーバード,エール,プリンストンの代表者を昼食会に招待し,合同管理委員会の設置を働きかけたというのが実情のようです(*2)。

また,ルーズベルトの“鶴の一声”で事がすべて片付いた訳ではまったくありません。合同管理委員会の発足へ向けて大学関係者は動き出しますが,大学間の競争や関係者の思惑などもあり,様々な紆余曲折があって,翌1906年にようやく全米大学体育協会(National College Athletic Association: NCAA)が発足します。フットボールがカレッジスポーツの花形競技であったこともあり,このNCAAはその後,カレッジスポーツ全体を統率する最上位組織にまで発展しますが,発足当初は,激しい権力争いを繰り広げるハーバード大学とエール大学が参加しないなど,NCAAの船出は非常に危ういものでした。

運営が軌道に乗り,主要大学がフットボールの改革に合意するまでには数年を要しました。また,その後もフットボールの試合では死傷者が続き,フットボール存続の危機は何度も訪れます。そのたびに規則改革がなされ,20世紀後半になってようやく,粗暴性がほとんど見られない現在のような姿になったのです。

 

 

NCAAが創設されたのは,初の大学対抗戦であったハーバードとエールのレガッタ対抗戦が行われてから半世紀後のことです。この間,大学教員たちはカレッジスポーツが抱えるいくつものジレンマに苦悩しながらも,難しい問題に誠実に取り組んできました。その大学教員たちの努力がNCAAという大学合同管理委員会の発足に結びついたのだといえます。

「アメリカンフットボールの父」として知られるウォルター・キャンプ(Walter Camp)という人がいます。彼はフットボール選手として活躍し,後にエール大学スポーツ顧問となり,ルール作りなどフットボールの発展に多大な貢献した人物です。彼はカレッジスポーツに対する大学・大学教員の関与については批判的で,「大学スポーツの基本的なあり方を確立したのは,大学教員たちでもなければ評論家たちでもない。学生たちが自力で築き上げたものがその基本構造となった。」と述べています。キャンプに言わせれば,大学教員たちはカレッジスポーツを妨害しただけということになるかもしれません。

しかし,大学教員たちには学生活動を事細かに管理するだけの時間も専門知識もなく,学生活動に制約を加えるという形でしかカレッジスポーツに関与できなかったかもしれませんが,フットボールがその粗暴性やスポーツマン精神の欠如という欠陥を克服できたのは,そのような大学教員たちの干渉があったからこそであろうと思います。キャンプ自身は有能なフットボール選手であったこともあり,“力強いことが男らしさ”という前近代的な感覚の持ち主であったようです。そしてその前近代性のゆえに,キャンプの影響力はNCAAの発足──すなわち,フットボールの近代化の始まり──を契機に急速に弱まってしまったのです。

 

*1:”College Football”, John S. Watterson, The Johns Hopkins University Press, Baltimore, 2000

*2:前掲”College Football

 

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本稿はJaponism Victoria, vol.8 nos.2 and 3, 2013 に掲載された記事「文化比較考-カナダ・アメリカ比較:アイスホッケーとアメリカンフットボール」に加筆修正をしたものです。

 

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