指圧の真髄[1]

池永 清 @ Canadian College of Shiatsu Therapy

 

 

────編集部より

このシリーズでは,BC州North Vancouverで『カナダ指圧カレッジ』(Canadian College of Shiatsu Therapy)を運営されておられる池永清先生に指圧についてお話していただきます。池永先生は,日本で古来より親しまれてきた「つぼ」といわれる押圧点を指で押して身体の調整を行う指圧療法を実践され,2003年にはこの押圧点・反射点を解剖学的に解明した著書「Tstubo Shiastu」を発表されました。池永先生はカナダ,アメリカ,ヨーロッパで指圧が独自の治療法であることの認定を受けるためご尽力され,指圧プラクターの世界統一資格をカナダBC州ではじめて確立された方です。

池永先生にご執筆いただく経緯は本稿編集者の個人的経験でした。編集者の幼い頃の記憶に,母の肩を指で押している祖母の姿があります。5歳の頃だったと思いますが,祖母に「何しているの?」と聞くと,祖母は「身体には命が流れているの。でも疲れると命がかじかんでうずくまってしまうの。だからこうして『起きて,目を覚まして』といっているのよ。」と教えてくれました。

そして昨年,編集者はあるモールで「JAPAN SHIATSU」という看板を見かけました。中では治療師が指圧を施しており,その姿が幼い頃の記憶を蘇らせたのです。治療師の方とお話ししたことが縁となり,池永先生にお目にかかり,お話しをうかがって,指圧が日本の誇る独自の治療法であることを知りました。この連載をお読みいただくことにより読者の皆様が指圧の心を知り,指圧を生活に取り入れて,お身体に命の泉を清らかに流す一助にしていただくことが出来ましたら幸いです。

 

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指圧の成り立ち

この度,編集部の方より指圧について解りやすく説明をしてほしいとのご依頼をいただきました。指圧を少しでも多くの方に知っていただけることは大変嬉しいことです。そこで,指圧が日本独自の安全な医療行為であり,幅広い効果をもたらすものであることを皆様にお知りいただくために,指圧の定義や意味,そして方法を簡単に述べていきたいと思います。今回は第1回として,指圧誕生の経緯と歴史をエピソードなどを取り混ぜながらお伝えすることにします。

指圧とは何かと問われると,皆様はどのようにお考えになられるでしょうか。「痛いところを指で押す治療」と答えられると思います。その通りなのですが,揉んだり,撫でたりしないこと,指以外の肘や膝などを一切使わないことは,あまりご存じないと思います。残念ながら指圧は他の手技治療との違いを理解されないことが多いのが現状です。中にはマッサージの一部として捉えられることもあります。

しかし,指圧はそういったものではなく,指だけで体表のコリのある箇所を押してコリを解消し,まるで命の泉が湧き出るかのようにリフレッシュさせることができる技術なのです。他の手技療法とは異なり,指圧は証の見立てや事前の診断も必要なく,患者と施術者と煎餅布団(せんべいふとん)が一枚あれば,すぐに治療が始められるというメリットがあります。そして治療は簡単なものから複雑なものまでがありますが,やさしいものであればご家族で互いに押しあって,疲れや病気に打ち勝つ力を引き出し,身体の様々な機能を正常に戻すことができます。

指圧は指で身体を押すことを基本とするものですので,知らず知らずのうちに,私たちの生活の中に取り入れられてきました。それは指圧がとても自然な営みでもあるからです。古代の人々が患部に手を当てることで痛みを鎮めていたことはご存じだと思います。約2000年前の神話時代には,日本の医祖と言われる少名毘古那神(すくなひこなかみ)が徒手によって病気を治した記録があります。指圧の発祥は古代の手当に始まると言われています。その後,有史時代を迎え,仏教の伝来とともに漢方医療が輸入されてきます。その中には鍼(はり),灸(きゅう),按摩(あんま)などの手技治療も入ってきました。しかし,新しい中国医療などに翻弄(ほんろう)されながらも,指圧は日本人の知恵を受け継ぐ形で人々の生活に染み込んでいきました。

 

 

そのような中で,指圧療法の創始者といわれる浪越徳治郎(なみこしとくじろう)が誕生します。ご年配の方ならご存じでしょう。徳治郎の家族は明治45年(大正元年),徳治郎が7歳の時に四国の香川県より北海道の留寿都村に移住しました。徳治郎の母,まさは旅の疲れと急激な生活の変化により,体中に痛みを訴えて寝込んでしまいました。医者も薬もない状況の中で徳治郎少年は母の苦しみを見かねて,母親の身体を「撫でる」「さする」などをして必死に看病をしました。

母親の身体をくまなく触っていると,徳治郎少年は母の身体に特に硬い部分を発見したのです。そこでその部分に注目して,硬い部分を親指でほぐすことを始めてみました。すると母の容体が不思議と良くなっていくのに気がつきました。その後,暗中模索の末に,身体の凝りや発熱などの症状に合わせて押し方を工夫しながら治療を続けた結果,母,まさは全快にこぎつくことができたのです。母親の病名は多発性関節リュウマチだったといわれています。母を思う子どもが必死で手当を行った結果でした。

この時の経験をもとに,徳治郎は試行錯誤を繰り返しながら幾多の研究を重ね,指圧を医療手段のひとつとして形作っていきました。徳治郎の心にはいつも母を助けた気持ちが生きていたのです。まさに「指圧の心は母ごころ,押せば命の泉湧く」なのです。

このように徳治郎が始めた指圧治療は,古来より人々に受け継がれてきた手当の作用と合流し,ひとつの流れを生み出していきました。現在,指圧は世界で認められた手技療法となりました。指圧施術者に与えられる世界統一資格である指圧プラクターの名称も,海外では初めてここカナダのBC州で使われることになりました。

次回は,徳治郎が始めた指圧治療が日本の独自の手技療法になるまでの経緯をお伝えしたいと思います。

 

本稿はJaponism Victoria, vol.8 no.8, 2016掲載の同名記事に加筆修正をしたものです。

 

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> 指圧の真髄[4](予定)

 

 

指圧の真髄 The Quintessence of Shiatsu[1]

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